買い切りゲームとF2Pゲームと私・前編「買い切りにあってF2Pにないもの」

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ゲーム

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みなさん、(コンピューター)ゲームは好きですか? 私は大好きです。 なんだかんだで、幼少期から今に至るまで、(多少の浮き沈み減退はあっても)ずっとやってますからね。

しかし一口にゲームと言っても、ジャンルの区別に限らず提供形態によってもゲーム体験に大きな違いがあるほか、主要層もまた同一ジャンルとしても異なるのではないかな……という印象があります。

なんとなくその辺を言語化してみたくなったので、記事にしてみます。 長くなりそうなので前後編となりますが、前編では買い切りゲームがメインの私の目線で「買い切りのゲームにあって、F2Pゲームにはないもの」について書いていこうと思います。

※F2P: Free to Play、基本プレイ無料タイトルのこと。 特に、スマホゲームに多いものをここでは指すものとします。

前提として: 私は買い切り派です

前述の通り、私は買い切りゲームのほうが好み……というか、メインフィールドです。

理由は本記事の内容にもなるので、以降に続きます……というところですが、より自分の求めるものがあり、性に合っているのが買い切りゲームである、と言い換えることもできます。

F2Pのゲームはそもそもプレイした絶対数が買い切りゲームに比べると圧倒的に少ないですし、継続することも珍しいくらいなのですが、SFCやGBでゲームに初めて触れたということもあり、買い切りのほうがしっくりくる部分はあるかもしれません。

というわけで、本記事はそういう人が書いています。

プレイの自由

いきなりふわっとした要素になりますが、詳しく書けば「やりたいときにやりたいだけやれて、あるいは、やる気がないときはやらなくていい」自由ということです。

F2Pにはシーズナルイベントをはじめとして、とにかく「時限」のものが多いですよね。 スタミナの概念も溢れないように消費しないともったいない……みたいな作りになっているのも、時間回復という面で言えば時限の変形といえなくもないでしょうか。

私は飽きっぽく気分屋なところがあるので、これがなかなかしんどいんですよね。 ハマったらずっと単一タイトルをプレイすることもありますが、基本的にはその日の気分でプレイするゲームをコロコロ変えます。

そこでいくとF2Pは可能な限り“皆勤賞”を要求されます。 課金要素筆頭であるガチャを回すために使う、いわゆる“石”を集めるためには、日々のログインやデイリー消化、イベントへの参加が必要になってきますので(石は買えばいい、というのはそうなんですが……ねぇ?)。

一方でプレイ熱があったとしても、今なお多くのタイトルで採用されているスタミナ制や、そもそも運営型ということもあって現時点での実装済みコンテンツの範囲内でしかプレイができない……という側面もあり、やりたくてもやれない・やりたいコンテンツがないというような状況もしばしばです。

なので、己の意思によらず、プレイを半強制されるような心境でありつつ、やりたくてもやれない歯がゆさもあったり……という感じで、小さなストレスが日々蓄積されていくところが私にとってはあります。

結末、終わり

ずっとこの世界に浸っていたい、冒険していたい、キャラクターたちの模様を眺めていたい……という考え・気持ち・意見があるのはわかりますし、そう思ったことも何度かあるのでそれらを否定はしません。

が、基本的には私は物語には終わってほしいと思っています。 やはり、感動なり衝撃なりを与えてくれる、結末というものもまた物語の持つ魅力だと思いますので。

F2Pの場合は、最近でこそサービス終了の間際や計画的に当初から予定して物語に結末を用意している場合もありますが、まだまだ全体で見れば稀で、たいていは唐突なサービス終了という打ち切りめいたものか、急造かつ強引な結末を迎えるケースがほとんどだと思います(とはいえ、一応曲がりなりにも物語に結末を用意しよう、という風潮が出てきたのはいいことだと思います)。

その結末も、開発・運営当初から用意してあるのか、それとも運営を継続するなかで出てくるものかはわかりませんが……果たして、全体として見た場合、最初から脚本を用意された買い切りゲームに優るものが描けるのか?という疑問があります。

まぁ、現時点でF2Pのタイトルの結末をプレイ中タイトルで経験していない(その前に引退・休止し、復帰することなくサービス終了の知らせを知るだけだったため)ので実際どうなのかはわかりませんが、あらかじめ練られたシナリオ・ストーリーと、経営状態によってボリュームが左右されるF2Pでは、やはり後者のほうは不確定要素が多く、ひとつの物語として重厚なものを描くのは難しいのでは……と思っています。

もちろん、F2Pタイトルでも今ではキャラクターのみならず世界設定やストーリーに力を入れて、味わい深い物語を紡いでいる作品も多く存在します。 ただそれらの結末を身を以て経験できていませんし、全体として「適切な内容とボリュームだった」のか「薄く引き伸ばされただけで思い出補正頼みだった」のか……というどちらに転ぶものなのかは現時点ではわかりません。

無論、買い切りゲームにも結末が事実上ないようなゲームもあります。 マインクラフトのようなタイプや、やろうと思えば延々とプレイできるシミュレーション、セッション単位でプレイが完結するPvP(対戦)やCOOP(協力)ゲームなど。

ただ、それらとも「やりたいときにやりたいだけやれて、あるいは、やる気がないときはやらなくていい」自由も含め、休止や引退を除けば自らの裁量で終わらせられるものではない点で異なりますね。

※この点で、例えば「ウマ娘プリティーダービー」や「アイドルマスターシャイニーカラーズ」などは、基本的に1プレイ(1育成)でストーリーが概ね完結してエモさを摂取できるので、これらは例外かなとも思います。

育成・成長の喜び

個人的に、F2PのRPGにおいては“育成”という言葉はあまり使わないようにしています。 代わりに使うのが“強化”です。

というのも、基本的にF2Pのゲームはガチャでお目当てのキャラを引き当てたら、直後にリソースを大量消費して、一気にその時点での上限にまで引き上げるのが通例だからです。 そうしないとせっかく引いてもすぐに使えませんからね。

まぁこれはもうそういうもんだと思うし、構造上仕方がないとは思うのですが……もともとRPGが好きな私としては“育成”と呼ぶにはそのキャラと向き合ってじっくり仕上げていく感じがないので、これは“強化”では?と思ってしまうのです。

昨今では買い切りゲームのRPGもレベルアップスピードが速くなっている傾向にあると思いますし、以前ほど1レベルの重みがないような気もしますが……例えばWizardryライクなゲームなどのように、最初の1レベルを上げるまでの緒戦の大変さと1レベル上がったあとの余裕のでき方、あるいは新たな呪文を習得して取れる戦術幅が広がる……という原初的な体験に好感を持っています。 なので、このあたりがスポイルされているのは物足りなさもあります。

あるいは、キャラクターを強くするという点では装備の更新も外せません。 新たな街へ到着して、まずはお財布と相談しながら武器や防具を見て回る……どれくらい強くなるのか?どういう変化がありそうか?とか比較したりするわけですね。

このあたりもF2Pとなるとガチャ入手だったりするわけで、求めている体験とは違うなぁ……と思ってしまうわけです。 ワクワク感がないというか、ガチャ石これで足りるかな引けるかな……みたいな不安のほうがのしかかってくるので。

それ以外でも、レベルアップ時にもらえるスキルポイントでどのスキルを獲得しよう?とか、そういう頭を悩ませる取捨選択もあまりない気もします。 まぁ、オールドスクールな人間である、と言われればそれまでですがね。

冒険における発見の興奮

近年はフィールド探索のあるタイプのF2Pゲームがちらほらリリースされたり発表されていますが、(前項とかぶる部分もありますが)買い切りの同型ゲームに比べると発見の興奮が物足りないなと……。

世界設定の理解を助けるフレーバーテキストでもいいし、意外なところで発生する想定外なクエストでもいいし……あるいは、隠された希少な財宝でもいいのですが、この辺の実装が困難な構造になっているのかなと。

一点もののお宝を配置するのは、F2Pのゲームシステム上まぁ無理だろうなとは思います。 仮に用意するとしても、おそらくせいぜいのところは「そんなに大したことがない」性能のコレクターズアイテムに終わることが多いと思います。

でもやはり、巨竜を打ち倒したドラゴンスレイヤーとか、デメリットと引き換えに絶大な力を発揮する呪われたアクセサリーとかにロマンを感じるし、そういうの、欲しいんですよ……。

あるいはそれ以外も、コンテンツ制作と配信のペースを考慮すると、そんなに膨大なものはなかなか仕込めないでしょう(実現しているタイトルもありますが)。 お宝よりは企業努力でどうにかなる部分ではありますが。

そうしてみると、一見広大で魅力的に見えた世界も、ただ単にだだっ広いだけに感じてくる瞬間があります。 前にいた場所でも今いる場所でもそして恐らく次に行く場所でも……宝箱の中身は変わらないのだろうなぁ、みたいな。 そう感じてしまうと、探索も面倒さが勝ってしまうんですよね……。

再プレイの容易さ

たくさんゲームをプレイしていると、(仮に面白かったとしても)二度やることはない……というものがそうそう珍しくはなくなってきます。 一方で、リプレイ性の高いゲームであるとか、一部の思い入れ深かったゲームなどは、数年経ってからまたやりたいな……と思うこともよくあります。

そこのところで、F2Pだと再プレイするのが厳しい構造になっています。 一番最初に思い当たるのはサービス終了によるものです。

サービスが終了してしまってはもうプレイヤーにはどうすることもできません。 ごくごく稀にオフライン版やアーカイブのようなものが登場することもありますが、現時点ではめったにないレアケースです。

あるいは、そもそもストーリーの読み返し機能がないタイトルもあります。 一回こっきりのプレイ体験を重視しているのかもしれませんが、なんにせよ、この場合も他人のプレイ動画を見るなり、なんらかのファン制作のウェブページで記憶を掘り起こすなり……という外部に依存した行動でしか振り替えられません。

ならばサブアカウントを作る? ……いやいや、運営が長いほど、再び再プレイするのは困難ではないでしょうか。 それこそキャラの確保や強化はテコ入れがあったとしても相当時間がかかると思います。

このあたりは、買い切りゲームであれば、そのゲームを単に起動すれば大抵のタイトルは遊べます。

オンラインサービス必須のタイトルだとサーバーが閉じていてプレイできないとか、あるいは動かせるハードウェアが手元にない(故障している)とかOSの互換性がないとか……というケースもありますが、「どうあがいても再プレイ不可」なのと「プレイできる可能性がある」のとでは雲泥の差です。

後編ではF2Pの中でも続くものと続かないもの、理想的な付き合い方を考えてみます

ということで……書き出してみると「どういうところが私には合わないのか」を列挙しただけになってしまった気がしますが、ガチャ周り・お金周り云々をおいておいて、おそらく運営型タイトル(特にRPGやストーリーの絡むもの)との相性が悪いんだろうなぁと思った次第です。

どんなにハマったタイトルでも長いことやっていると飽きますし、そうなると(埋没費用とかは考えないとしても)日々のプレイが「楽しいから」からは離れて「辛い・面倒くさい」になり、味のしないガムを噛み続けるようなものとなり、休止なり引退なりへ向かうだけです……少なくとも私にとっては。

とはいえ、なんだか面白そう・魅力的な何かがあるものが発表されたら、とりあえずやってみたいと思ってしまうのも事実……後編となる記事では、自分なりにF2Pの中でプレイが続きやすいものとそうでないものの違い、そしてどういうタイプならより長く付き合っていけるのか、を書き出してみようと思います。

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芹式部(せりしきぶ)と申します。

趣味(ゲーム・映画・音楽)についての記事を書いていければなと思っています。

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